■■東京都に住んでいます■■
産科医療補償制度の個別審査で落ちた子供達の保護者の活動によって
産科医療特別給付事業を国が設立し、産科医療特別給付金の申請が2025年1月から開始しました。
私はその【産科医療補償制度を考える親の会】の代表をやっていました。
産科医療特別給付金を国に決めて頂く
活動の代表をしていました。
つまり、
厚労省や国会議員や国家権力に通い続けて
陳情をしていた経験があります。
国に楯突きお金を取ってくる活動ですから、想像を絶する負荷でした。
でも、この活動を最後まで多くの保護者とやりきった事は私にとっては【人生の宝】と言える経験になりました。
最後の写真は産科医療補償制度を運営している日本医療機能評価機構の理事長 河北博文先生です。産科医の減少を防ぐ為に始まった産科医療補償制度を国が2009年に始めた時、誰もがこの制度の運営を引き受けるのを嫌がったそうです。
最終的に河北先生が産科医療補償制度の運営を引き受けてくださった事で、制度を始めることが出来たと活動をしてから知りました。
😊河北先生の隣は参議院議員の自見先生です
数えきれない程の先生方に陳情に通いましたが
一部の先生とのお写真を
😬YouTube番組に出演しました😀
脳性麻痺児の息子とアイテム作りの事で出演した動画はこちら⬇︎⬇︎
国への活動の代表をしていた時の動画はYouTubeに沢山あります
【産科医療補償制度 親の会】で検索を
⬇︎⬇︎
様々立場から教科書では学べない実情をお話出来ると思います。
日本の福祉や医療に貢献できる事があれば
私にお話させてください!
私は2023年夏のある日。突然、心臓発作を起こし緊急搬送をされました。
2回心臓発作を起こしたのですが、2度目の時は車椅子の息子が隣にいて、この子が居たら搬送出来ないと言われ 搬送されるまで時間がかかり死を覚悟しました。
搬送先では心筋梗塞だと思うと医師から告げられ、すぐに心臓カテーテル検査をして、そのままステントを入れると説明を受け、泣きながら同意書にサインをしました。しかし、心臓カテーテル検査の結果、狭心症・血栓・心筋梗塞の形跡は無く、造影検査で「タコツボ心筋症」という事がわかりました。
その時初めて、ストレスや過労で心臓がここまでダメージを受けてしまう事を体感し、世の中には色々な病がある事を痛感しました。
また、その翌年の2024年。次は脳動脈瘤が見つかりました。生活出来ないくらいの首の痛みと頭痛が2ヶ月続き、2件目の病院のMRIと造影検査で小脳に脳動脈瘤が見つかりました。
その位置が脳幹の近くで大きさも日に日に大きくなっていることがわかり、最終的には1、3cmにもなっていました。場所も脳幹が近いので、破裂したら命を落とす可能性が高いと言われました。
子供は重度心身障害児と呼ばれる何も自分では出来ない11歳の障害児。私は41歳。
これからの息子と自分の人生をかけて、ステント留置とコイル術で脳動脈瘤を塞ぐオペをして頂きました。
結果、そのオペの合併症で小脳梗塞を起こしましたが、瘤は完璧にコイルで埋めて頂き、そこからくも膜下出血になるリスクは今のところほぼ無くなりました。
瘤の急速な成長具合に気づいていなかったら、1、2年以内に破裂していた可能性が高いと言われました。私は完全に、日本の医療に命を助けて頂きました。
2年連続で重度障害児の息子を抱えながら大病を経験し入院生活を経験したことは、確かに側(ハタ)から見れば大変な事だったと思います。もちろん当事者の私も最近まで一杯一杯でした。しかし、オペと入院生活から日が経つにつれ「生かされた」とか「何か意味があった」と考えるように心境が変わってきました。
今は、重度障害児の親として。若くして心臓発作や脳梗塞を経験した者として。の経験を、私がお話しして活かせる場所があれば積極的にお受けしたいと思っております。
その理由は、日本の医療制度、医療従事者の方に命を助けてもらったので恩返しがしたいからです。
私だけでなく、うちは早産児の息子も、産まれた瞬間から医療と福祉に生かされてきたので。
ぜひ、出来ることがあればやらせてください。よろしくお願いいたします。
永島 祥子